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コラム

日本における龍神信仰について



日本における龍神信仰について

 

日本の龍神信仰は、古くからの「自然崇拝」と日本の伝統的な「神道」が結びついた信仰です。龍神は天と地を自由に行き来し、自然の力を司る存在といわれており、神社では地上で起きる自然災害を防ぐ守護神として崇拝されています。また、作物に実りをもたらしたり、ときに自然災害を起こして人間に警告を促したりしながら、人間の世界を守る水神様としても信仰されてきました。

 

参考資料

第4回アジア太平洋
水サミット 天皇陛下記念講演

YouTube動画 https://www.youtube.com/watch?v=gA5vGZ9YYlg&t=98s

天皇陛下が日本の山岳信仰や龍神信仰について詳しく述べられました。

 

「人の心と水、信仰の中の水に触れる」というテーマでのご講演

 

熊本県をはじめわが国では、豊かな水が豊饒の大地を作り、先祖代々続く人々と水との関りが、その地域固有の文化と社会を形成してきました。

人々と水との関わりの歴史によって、文化や社会が形作られてきたことは、日本のみならず

アジア太平洋地域をはじめとする、世界各国の地域でも同様と考えられます。

世界の文明、文化を眺めると、水は人々の生活を支えるだけではなく、人と自然の関係や、人々の自然観、世界観にも大きな影響を及ぼしてきました。

日々の水への感謝や畏れが、やがては水を心の清めや、祈りの対象へと変化させ、水を通じた信仰へと繋がっていった事例も、日本や世界各地でも見られます。

本日はそうした人の心と水との関わりを、水に関する民俗信仰という視点からお話ししていきたいと思います。

 

人の心と水

―信仰の中の水に触れる―

令和4年4月23日


 
山岳信仰と水

山岳信仰とは、日本各地でみられる民俗信仰の一つの形態です。
日本の山岳信仰の例として

※1富士山
※2白山 
※3大峰山 
※4大山
※5阿蘇山中岳 

それらの山の神を祀る神社などが広く分布しています。

山岳信仰は日本だけでなく世界にも見られ、特徴的な山岳や山とかかわりの深い民族の存在する地などで発達しています。

信仰の対象となっているアジアの山々、

カイラス山(中国)は、仏教やヒンドゥー教の聖地とされ、多くの人々が巡礼に訪れていますし、私も訪れたことのあるマチャプチャレ山(ネパール)やチョモラミ山(ブータンヒマラヤ)も聖なる山とみなされています。


日本の山岳信仰の例

・熊本県の阿蘇山は日本を代表する活火山として広く知られるとともに、山岳信仰の対象でもありました。そして有名な中岳の噴火口は、火口の底に水を湛え、信仰の対象として、健磐龍命(タケイワタツノミコト)が祀られています。健磐龍命には、阿蘇カルデラの湖水の水を切って美田を開いたという言い伝えがあります。

その子の速瓶玉命(ハヤニカタマノミコト)は水分神(ミクマリシン)として麓の阿蘇神社に祀られています。

阿蘇地方にはこのように古くから阿蘇山の火山神への信仰と、阿蘇谷の開拓に伴う農業開拓神や、水神の合体した信仰が存在したと言われています。

熊本市内にある湧き水の紹介

熊本市では江津湖や金峰山湧水群などの名水があり、県内では白川水源など清らかな水が豊富に湧き出す名所もあります。

阿蘇山への信仰のみならず、こうした名水もまた、多く信仰の対象になっており、小さな祠などが湧き水の傍らに置かれています。

 

・石川県、岐阜県、福井県にまたがる日本を代表する霊山である白山と、水との関係を見ておきましょう。白山の標高は2700メートルを超え、手取川、九頭竜川、長良川という大きな河川の源流になっています。

そのことも関係してか白山は、古代より命を繋ぐ親神様として、水神や農業神としても崇められてきました。

そして泰澄(タイチョウ)という僧侶によって、白山が山岳信仰の場として開かれたのは奈良時代の(717年)と伝えられ、2017年には開山1300年祭が執り行われています。

日本における山岳信仰には水につながる伝説や信仰と結びついたものが多くあることがお分かりいただけるかと思います。

さらに水に関わる民俗信仰は、山だけではなく、森や林業といった、人々の生業にもつながっていきます。

これは滋賀県の安曇川流域に残る志古淵神社ですが、この流域では、古くに林業が盛んで、伐採をした木材を筏に組み、川に流す際に、多くの難所を越えなければならず、その安全を祈る志古淵神社のネットワークが形成されたと言われています。

このように人々の様々な水への願い、感謝や、思いが、水への民俗信仰へと広がっていったと言えましょう。

さて少し視野を広げて、水の信仰を通じたアジア太平洋地域の繋がりについて見ていきたいと思います。

その繋がりを探る手掛かりとして、まず、蛇の神、次に龍神を取り上げます。

 


アジア太平洋を繋ぐ水への信仰

―蛇神(ナーガ)・龍神の旅―


縄文時代の土器を例にとってみると、これらの縄文土器は、蛇の模様をかたどっており、古来より蛇が信仰の対象となっていたことが伺われます。

実は、古代から蛇を神、あるいは神の使いとして祀る例は、日本だけではなく、アジア、欧州、南北アメリカ大陸、アフリカと、ほぼ世界中に広がっており、また多くの場合、そうした蛇には、大雨、日照り、雨乞い,虹や雲といった水紋や気象にまつわる神話や伝説、言い伝えが残されています。

理由としては蛇の形が、蛇行する河川や虹、雷の形を連想させることや、蛇が水棲であったり水中にもいることなど諸説あります。

いずれにしろヒンドゥー教や仏教など国を超えた信仰が広まる以前に、それぞれの地域で、蛇などを通じた水への信仰が、素朴な形で生まれていたことは確かなようです。

日本古代の古事記、日本書紀の神話に出てくるヤマタノオロチも、その一つの例といってよいでしょう。

アジア太平洋地域において、各地域で文明が興って以降、宗教の広まりとともに蛇にまつわる神話と偶像の移動も始まります。中でも仏教の伝播は、アジア太平洋において、人々の心の中に大きな影響を及ぼしましたが、水神である蛇の概念と偶像も、大陸をまたぐ移動を始めます。

 

ヒンドゥー教の蛇の神・ナーガ像

猛毒を持つコブラがモデルともいわれます。ガンジス川での清めに重きを置くヒンドゥー教では、水にまつわる神々が、重要な意味を持ち、半身半蛇のナーガ像が多くの寺社の肖像などに残されています。

ナーガ像の例として

私は、2012年にカンボジアのアンコールワット寺院を訪れましたが、多くの場所でナーガの像や彫刻を目にしました。

なかでも寺院内の第一回廊の壁画レリーフには、ヒンドゥー教の世界創造神話である乳海攪拌が、浮き彫りになっており、不死の薬を求めて、中央の山に巻きついたナーガの頭と尾を、正義と悪の神が、それぞれ両方から引っ張ることにより、山を回し、海を攪拌している様子が描かれています。

またカンボジアの建国神話には、ナーガが大地を覆っていた水を飲み干して、土地を創ったという話もあり、ナーガと水との強い関係を伺わせます。

インドネシアの寺院にもナーガの像が見られます。


日本の例として

大阪本山寺にある宇賀神像(トグロを巻く蛇の上に人間の頭部が乗る)は、日本にも多く見られます。

滋賀県で日本最大の湖である琵琶湖の竹生島にある弁財天像で、その頭部にも宇賀神像が乗っています。

弁財天といえば、日本三景のひとつである広島県の厳島や、ヨットで有名な神奈川県の江の島が有名ですが、いずれも島という水に関わる場所に祀られています。

さらに同じ島であっても、東京上野の不忍池には、江戸時代に琵琶湖の竹生島に見立てて弁財天を祀る弁天堂が建てられています。

熊本県内にも弁財天を祀った島があると聞いています。


また山岳信仰の山としてよく知られた奈良県の大峰山の弥山(ミセン)山頂には、天河大辨財天(テンカワベザイテン)の奥宮があります。大峰山は古くから紀伊平野を、さらに近年には、大和平野も潤す豊富な水量を持つ吉野川の水源となっており、水と弁財天信仰との密接な関係が伺えます。 

弁財天は日本では、福徳の神でもある七福神の一柱に列せられ、弁天様として人々に親しまれますが、

インドで発したヒンドゥー教の水神である、サラスバティ神が原型となっており、仏教の伝播とともに、日本に伝えられてきているようです。

サラスバティとは、水を持つ者の意で、水神、弁財天と頭の上に乗る蛇とが、近い関係を持っていることが分かります。

蛇を通じた水の信仰は、大陸を旅し、海を越え、アジアの人々、そして日本の人々の心に、大きな足跡を残しているのです。

 
ところで私は、昨年の9月に皇居に引っ越しましたが、現在の皇居は、江戸時代には、徳川将軍家の居城があった場所で、その歴史について調べていくうちに、江戸時代の18世紀には、皇居内にある小さなお堀の島に、弁財天が祀られていたことを示す記録があることを知り、驚くとともに、水とのご縁は続いていると感じました。

 

 

アジア太平洋を繋ぐ水への信仰

―龍神の旅―


 
伝説や想像上の生き物とされる龍ですが、中国ではその概念は、仏教などの宗教が興る数千年前に、すでに形成されていたと言われます。

・紀元前6000年以上前の仰韶(ヤンシャオ・ギョウショウ) 文化の「中華第一龍」

・紀元前3000年以上前の紅山文化(ホンシャン・コウサン)文化の壁玉龍には、すでに龍の姿が見られます。

権威の象徴でもある中国の龍は、水を司るとされ、古代から雨ごいの対象ともなっていました。中国には、インドに棲むコブラのような蛇はいませんので、古くからある、この龍の概念が、伝来した仏教の蛇にまつわる教えと集合し、東アジア・東南アジアに伝わっていったとも言われています。

 

日本にも古代中国で形成された龍の概念が伝わったとされ、日本国内では多く、水神として祀られています。

奈良県の室生には、龍が棲むという洞窟があり、9世紀には、ここで雨乞いが行われていたことが、日本紀略という歴史書に見えています。

 
また鎌倉幕府、三代将軍の源実朝が「時によりすぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまえ」

と詠んだように、特に干ばつ大雨といった異常気象の際には、龍は祈りの対象となり、各地に水龍の伝承が残されています。

龍の中には、九頭竜と呼ばれる9つの頭を持つものがあります。先ほどご紹介した白山や長野県の戸隠山は、九頭竜信仰との関わりが深いと言われています。

写真は戸隠山ですが、ゴツゴツとした岩肌が続くその特異な山容を龍として見立て、九頭竜神として崇拝したのが、戸隠信仰の始まりとの説もうなずけるような気がします。


ところで熊本県八代市の妙見祭の祭礼には、亀蛇(ガメ)と呼ばれる亀と蛇が合体した中国伝来の架空の動物が登場します。亀蛇は、古来中国では、龍の6番目の子供を指したようですが、妙見祭は、五穀豊穣を願う祭りであることを考えると、祭りという文化的な行事においても、龍と水、そして日本とアジアとの結びつきを感じます。

 
このように日本をはじめ、アジアの各地で水への感謝や恐れが、蛇や龍という具体的な形をとった神話や偶像となり、さらに伝来した新たな教えとそれらが一体となって、少しずつ形を変えながらも、アジア太平洋の国々に広がっていった過程が、お分かりいただけるかと思います。

 
ここまで人と水との日々の繋がりから、素朴な水への信仰が生まれ、そこから水へのより深い信仰となり、宗教の伝播に伴って広がっていった事例を見てきました。

人々の水への思い、感謝や畏れは、蛇や龍の形をとり、大陸から海を渡り、各地域をつなぐ文化の一部となったのです。

時間と距離を超えた人と水との深い関りは、アジア太平洋地域に住む私たちにとって、揺るぎない共感と、連帯の土台を形作っているように思えます。

 

 

※1  富士山 浅間神社(天照大神の孫瓊瓊杵尊(ニニギ)の妻である
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が祀られています。

※2  白山  白山神社の総本宮である白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)
(菊理姫 ククリヒメが祀られています。→天照大神 アマテラソウミカミ
の両親のイザナキとイザナミの仲を取り持ったと言い伝えられています。)、

※3  大峰山  天河神社(役小角 エンノオヅヌが開山した霊峰で弁財天が祀られています。)、

※4  大山  大神山神社(大国主オオクニヌシが祀られています。)、

※5  阿蘇山中岳 (健磐龍命 タケイワタツノミコトが祀られています。)




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