55cm × 21cm × 5.5cm
時価
青龍羽子板
青龍とは、中国の伝説上の神獣を指します。東西南北を守護する四神のひとつで、東方を守護するといわれ、十二支を司る獣のなかの1つとされています。この羽子板は辰年の開運を願い、制作されました。月明りのなかに翔ぶ青龍の鋭い眼光が悪縁や悪運を祓い、魔を退けます。金襴生地、ヒマラヤ水晶を贅沢に使用した華やかな羽子板です。
羽子板の起源は7世紀頃から宮中で行われていた『毬杖(ぎっちょう)(玉けり)遊び』で使う先がへらのような形をした杖(毬杖)といわれています。
鎌倉時代には羽根つき遊びに変化していたようです。羽根は子どもの病気の原因となる蚊を食べるトンボにみたてられ、羽根の先端の黒い玉は、無患子(むくろじ)という木の実で、これも「子どもが病を患わないように」という願いが込められています。
その後、羽子板は室町時代から『羽根つき遊び』用の物と『飾り』用の物に分かれていきました。
江戸時代後期になると歌舞伎役者の舞台姿を写した羽子板が登場し、江戸の人々の間で人気を博し、明治時代の歌舞伎黄金時代に、歌舞伎役者をモチーフにした「押絵羽子板」が盛んに作られるようになりました。
明治時代中期に押絵羽子板の技術が全盛を迎え、立体的な技巧を凝らした押絵作品が作られるようになり、明治の末から大正にかけて、押絵羽子板は役者錦絵から離れ、押絵羽子板師たちは、美人画も含めた独自の様式を作り上げていきました。
羽子板とは
羽子板の歴史は7世紀頃から宮中で行われていた『毬杖(ぎっちょう)(玉けり)遊び』が起源とも言われています。
これは先がへらのような形をした杖(毬杖)で毬(まり)を打ち合う遊びです。 この杖が変化して羽子板になったと考えられています。 これが鎌倉時代(1185年~1333年)になると羽根つき遊びになって来ています。
羽根は子どもの病気の原因となる蚊を食べるトンボにみたてられ、羽根の先端の黒い玉は、無患子(むくろじ)という木の実で、これも「子どもが病に患わないように」という願いが込められています。
室町時代(1336年~1573年)から『羽根つき』用の物と『飾り用』の物に分かれていきました。
羽根つきを描いた桃山時代(1568年~1600年)の絵によると、羽根をつく羽子板は板の上に梅の絵などを描いたり、左義長(宮中の正月の儀式で悪を追い払う行事)を描いたものでした。
江戸時代後期の文化文政期(1804~1829)になると歌舞伎役者の舞台姿を写した羽子板が登場、江戸の人々の人気を博しました。江戸庶民文化が創り出した工芸品である押絵羽子板は、歌舞伎の発展とともに発達しました。
明治時代の歌舞伎黄金時代に、歌舞伎役者をモチーフにした「押絵羽子板」が盛んに作られるようになりました。
明治時代(1868年~1912年)中期に押絵羽子板の技術が全盛を迎え、立体的な技巧を凝らした押絵作品が作られるようになり、明治の末から大正にかけて、押絵羽子板は役者錦絵から離れ、押絵羽子板師たちは、美人画も含めた独自の様式を創り上げていきました。
大正時代(1912年~1926年)には、羽子板に焼きごてで線を描き彩色した「焼き絵羽子板」や、絹を貼った羽子板に直接絵を描く「絹絵羽子板」など様々な形の羽子板が生まれました。
その伝統的な技法は昭和(1926年~1989年)、平成(1989年~2019年)、令和(2019年~)の今日も受け継がれ、現在の押絵羽子板師たちが伝統工芸品「押絵羽子板」製品を作りだしています。